悪の法則を見た
大好きなハビエル・バルデム出演の「悪の法則」(The Counselor)。
前評判がrotten tomatoesで34%(http://www.rottentomatoes.com/m/the_counselor_2013/)と悪いので恐る恐る見に行ったのですが、自分としては気に入りました!そこまで悪くない。
公開日翌日のレイトショー(土曜日)に一人で見に行ったのですが、やはりキャメロンディアスやブラピもでるというキャストの豪華さも手伝って、周りがカップルだらけ。
予想はしていたけど、エンドロールが始まったとたん、
「えええ・・・」「どういうこと・・・」
という女性たちの嘆息が聞こえてきましたw
隣の男性は途中寝ていたしw
たしかに、終わり方は「まじかよー!」という終わり方ではあります。
とーにかく、救われない。誰一人として。
ひたひたと迫ってきて最後にたたみかけるように襲ってくる恐怖感、そして誰も救われない虚無感。
「ノーカントリー」の原作者としても有名なコーマック・マッカーシーが脚本ということにも納得の共通項があります。
ただ、共通していないのは、ノーカントリーは途中から「悪」の存在が明らかに描かれていて、キャラクターも明確に描かれているが(ハビエルのあの髪型にはコーヒー噴かざるを得ないw)、今回の「悪の法則」は、その「悪」の存在の詳細が全然見えてこないこと。
見えてこないのに、確実に側まで来ているという実感だけがある。
「ああ、何かが起きようとしてるな」というのは見てるだけでわかるんだけど、普通に一回見ただけじゃ、何が「悪」の根源だったのか?全然掴めない。
でも、恐怖だけは確実に感じる事ができるっていう、なんか新種のホラーという感じ。
とにかく見落としがたくさんあるのでもう一度、いやもう二度は見なきゃなーと思ってます。
余談。
メキシコの密売人たちが話していた、彼らの「死はある一種のジョーク」という台詞。夜道で銃を発砲して、倒れた人がどんなヤツか見に行く。目的はなく、あくまで話のネタにするためだけに人を殺す。
一見すると、メキシコのやつらは狂人かサイコパスなんじゃないのかと思ってしまいますが、ふとメキシコのこんなイベントを思い出しました。
画像で見るメキシコ「死者の日」の風景 - NAVER まとめ http://matome.naver.jp/odai/2127631537509086501
この画像たちを見ていると、骸骨がピンクになったりかわいらしくデコレートしてあったりと楽しげです。
ここでは「死」は生きてる者たちが楽しむための祭の道具になっている。町中をデコレートして、おいしい酒や肴を楽しむための口実になっている。死をモチーフにした祭りは世界各国にありますが、こんなにも楽しげな死の祭りはないんじゃないでしょうか。メキシコのカルチャーに「死」が単に怖くて忌み嫌うものっていう概念がそもそもじゃいんじゃないかとすら感じるんですね。
死は必ず訪れる。その現実を受け入れるか受け入れないか。
カウンセラーが悪の世界に足を踏み入れた瞬間に、彼はその現実を「選択」していた。もう元の世界には戻れない。
事実に「冷たい」だの「温かい」などといった温度なんかなく、ただそこに「ある」だけという残酷な現実を見せてくれるこの映画。なんだか、刃物で少しずつじわじわと傷をつけられるようなそんな感覚になる映画です。
Mな人は見に行きましょう。(爽やかな笑顔)
パシフィック・リムと「萌え」
※酔っていますので乱文ご容赦ください
こんばんは、なんでも萌えちゃう進撃の腐人でございます(進撃の巨人は未読)。
ハリウッドがゴジラに負けない怪獣映画を作ったぞ!との
なりもの入りで見に行ったパシフィック・リム。
もうみなさんご覧になったでしょうか。
オタク文化を研究していた身としてこれは見ねばならぬ(風立ちぬ)
と息巻いて見に行ったらすっかりキャラクター萌えの境地に入っており愕然としました。
普段、映画(洋画)を見ていてキャラ萌えっていうのはまれです。
近年アメコミを原作とした映画が流行っており最近では映画にキャラ萌えするのは
一般化してきていましたが、いよいよだな、と本作を見て思ったのです。
なにしろ、ギレルモ監督は日本の特撮やアニメで育った生粋のオタク。
オタクがハリウッドを制するとこんなにキャラ萌えできる三次元のブツを見る事ができるのか、と興奮しました。
キャラ萌えといえば、やはりコミック主体、要は二次元が主体だったと思うのですが、
昨今の実写(三次元)とアニメーション(二次元)の混淆化で、より三次元がアニメに近づいていって、
生の人物が記号的に消費されやすくなったんじゃないかと思うんですね。
これは重大な事実じゃないかと思うんです。
本来であれば、三次元、生で存在する人物を二次元のように扱い、
変幻自在に扱う(妄想して楽しむ)ことは憚れてきました。
でも、この最近の状況を見るに、実際の実写映画が、アニメーション映画と
近づきつつある状況下で、
実在する人物も記号的に消費されることが一般化してしまっていると言えると思うんですね。
だから、以前のように、「実在する人物だから(ナマモノだから)妄想しちゃいけない、したとしても公表してはならない」という暗黙のルールは過去のものになりつつあるんじゃないかと思う訳です。
二次元ですら統制がかかる昨今、これからますます色々な概念が曖昧になっていって、既存のルールの適用が難しくなっていくんだろうなあ。
そんなことを酔いながら思いました。
※酔っていますので乱文ご容赦ください
剃毛プレイなRDJが拝める「毛皮のエロス」を見た
「ニコールが全てをさらけだした官能エロス!」
てな内容の煽りつき。間違いではないのですが、世に言う「官能」とはまた違うエロスが漂ってる映画です。
情熱のスペイン映画「ハモンハモン」のように、冒頭10分から主演女優がおっぱいぽろりしたりしません。性行為そのもののエロスではなく見てはいけないものを見てしまう背徳感だとかフェティッシュに近い感じ。
あらすじ
過激な題材によって写真芸術の概念に一石を投じた、天才写真家ダイアン・アーバスにオマージュを捧げる官能ラブストーリー。多毛症の隣人との出会いをきっかけに、貞淑な妻から自立した写真家へと変化していくヒロインを『めぐりあう時間たち』のニコール・キッドマンが演じる。監督は『セクレタリー』の異才ス ティーヴン・シャインバーグ。ダイアン・アーバスの人生に、独自のイマジネーションで肉薄した監督の手腕が光る(引用:http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id326234/)
「セクレタリー」といえば、上司とその秘書のあいだで秘密裏に行われる奇妙なソフトSMレッスンの映画。
ということはこの映画もきっとRDJが性的にけしからんに違いない!ということでワクワクしながら見始めました。
そして冒頭ものの10分で全裸の園が出現・・・!tんkがモザイクなしに普通に映ってます・・・・・!!これは・・・!!
今後の展開に胸が高鳴る導入部分です。完全に持って行かれました。
時をさかのぼる事三年前。多毛症のライオネルと出会うダイアン。マンションの上の階から大量の毛と鍵が流れてきて配管をつまらせてしまい、それをインターフォン越しにダイアンからライオネルに苦情を言う。そのシーンが秀逸とレビューしてる方がいて面白かったので引用します。
このディアンの「Your dog's hair is in my pipes. It's causing problems with the plumbing」というセリフがエロい。
Plumbing(配 管)とは、辞書にも載ってるくらいあからさまな膣の隠語だし、それを前提にして見ると「犬」というのは男性性器を指しているに違いない。「Do you have a large dog?」というのは直訳すると「あなたは大きい犬を持っているの?」すなわち「あなたはでっかいのを持ってるの」と聞いているわけで、「Your dog's hair is in my pipes. It's causing problems with the plumbing」は「あなたのXXXのことを妄想して、気が狂いそう」というような意味に受け取れる。(http://princesschu.blog23.fc2.com/blog-entry-184.html)
こういう隠喩大好きなので悶えます。
直接的性描写ももちろんいいけど、やっぱりこういう隠喩的性描写っていいなぁ。
ダイアンがライオネルの全身の毛を剃るシーンもとてもエロいんです。人に歯磨きされると快感だというのはちょっと前に某アニメが表現してましたが、人に毛を剃られるのも同じなんじゃないかなあと思うんです。
剃毛プレイとかよくあるしね。
アンダー周りの毛を剃られてる時のRDJの顔が本当にエロいのでそのためだけにでも見る価値があると思います。
また、女性の手によって刃物で毛と取り除かれてむきだしになるという表現も、男性優位の性描写ではなくて面白い。剃られたあとのカミソリの剃り傷は、女性であるダイアンが、男性であるライオネルに刻み込んだ印。エロい。毛がなくなった全裸のダウニは腰がきゅっとしまっててそのあとお尻がばいーんと大きくて・・・いやあ・・・本当に魅力的身体を持った男性だと思います(精一杯の理性を保ちながら)
そういえば、007/skyfallでもダニクレがボンドガールのマネーペニーに髭そられてましたな。でもそこはやはりダニクレ。傷一つつけさせずフィニッシュ。
日本人女性って結構毛に抵抗ある人多いって聞くけど、この映画みたらちょっと毛に対する性的象徴性に気づけて意識変わるんじゃないかしら。
きっと、うまくいく ー はじめてのインド映画 ー
フォロワーさんのすすめで、はじめてインド映画に挑戦。
インド映画というと、「ムトゥ〜踊るマハラジャ〜」のような、踊りメインのベタベタストーリー映画のイメージがあり、正直そこまで脚本には期待していませんでした。
「独特の踊りシーンが見れたら満足だな〜。インド人俳優イケメンでてきたらラッキーだな〜。」くらいにしか思ってませんでした。
あらすじ
インドで興行収入歴代ナンバーワンを記録する大ヒットとなったコメディドラマ。インド屈指のエリート理系大学ICEを舞台に、型破りな自由人のラン チョー、機械よりも動物が大好きなファラン、なんでも神頼みの苦学生ラジューの3人が引き起こす騒動を描きながら、行方不明になったランチョーを探すミス テリー仕立ての10年後の物語が同時進行で描かれる。(引用元:http://eiga.com/movie/77899/)
「とにかく踊っているんだろうなあ、三時間踊りっぱなしだったらどうしよう」と一抹の不安を抱きながら見はじめたが、あれ?まだ歌がでてこないぞ。踊りもない。
案じていたのもつかの間、じわじわとインドらしさが炸裂し始めました。とにかく効果音が大袈裟。ちょっとでも深刻なシーンになると毎回同じ「ドーン」というSEが流れ、ギャグをかましてずっこけるドリフ的なシーンではバラエティで使われそうな「ポコッ」というSEが流れます。いちいち笑える。
コメディ映画なのでアニメチックな演出や妄想シーンも多く、主人公ランチョー(中央)とヒロインが恋に落ちるシーンは突然ムーランルージュのワンシーンのように夜空の下で二人が華麗な衣装に身を包んで歌い踊ったかと思えば、学校内で中心人物三人を中心に他の学生も徐々に加わってくるミュージカルシーンは『500日のサマー』や『モテキ』に通じるものがあります。
500 Days Of Summer - You Make My Dreams - YouTube
妄想シーン。なにげにVFX技術もすごい。
ナチュラルにストーリーに合わせて歌と踊りが入ってくるのでさほど疲れません。
「突然大勢で歌って踊るミュージカル映画」という印象よりは、「ミュージカル要素のあるコメディ映画」という印象なのですんなりなじむ。
そして何より、ストーリーが単純明快のようでそうではないところが、この作品が評判いい理由のひとつかなあと思います。
インドの高度経済成長の光と影を風刺し、「他人の敷いたレールでなく自分で自分の人生を切り開いて行こう」「なるようになるさ」という幅広い年代の人につき刺さるであろうメッセージがしっかり描かれています。
貧しい親は子供にいい仕事に就いてもらい楽になってほしいがために、夢を押し付ける。子供は自分のやりたいことと親の願望のあいだで葛藤する・・・。
特に、「仕事は自分の好きなことをすれば、楽しいんだ」という台詞はなんだか今の自分の状況にも当てはまり、思わず涙が・・・。
インド映画は踊って笑えて楽しいだけだと思っていたけど、こんなにもピュアなメッセージが込められたものだなんて知りませんでした・・・。舐めてたなあ。
インド人男性の服装がセクシー
余談ですがインド人男性の服装が気に入りました。
ラジュール(一番右)が着てるちょっとワンピースみたいな服。
なんかひらひらしてて細身の人が着てるととてもキュート。
そして、こんな豪華版もあるらしい。
おおお・・・!!き、貴族だ・・・まじ王子。娶られたい系男子。
インド人男性って手足が長くて細いからシルエットが綺麗に見えるので最高ですね。
王宮に招かれたい・・・
立て襟ロングコート萌えでもあるのでこれはいい・・・。
マトリックスのネオたん
マトリックスのパクリともいわれた伝説のカルト映画リベリオン
ん。。。なんか平沢師匠っぽいな・・・
とりあえず、インド男性の服装イイネ!そして立て襟イイネ!
重い腰をあげました
公にブログを書く事を決心して早一ヶ月、ようやく書きはじめました。
はてなって玄人っぽくて今まで敬遠していたんですが、ものは試しということで・・・
友人も使っているので・・・
あ・・・思ったんですけどこれ、中学校の頃だったら
「はてなでブログやり始めるとかあたしのパクリじゃんむかつく」
といった形でいじめになっていたことでしょう・・・蘇る黒歴史・・・
(友人はとてもできた人間なのでそんなことはありませんけどね!)
ここでは映画や音楽に関する事を
「シネフィルも納得の出来映えである」「個人的オスカー候補は彼だ」
などとお堅くレビューしたりせず、
どちらかというと
「うおおこの俳優かっこいいなあ」「いい尻だ・・・」「いい胸だ・・・」
といった具合に下心満載に感想を吐き出して行く場所にしていこうと思います。
そもそもなぜ、ブログを書こうと思ったのかというと、
昨今のWeb上での自己表現は本当に画一化されてて嘘偽りばかりで退屈になってきたからです。
facebookで食事や旅行の写真をアップし、
「今日は飲み会、よし明日から仕事がんばるぞ」といったポジティブで実に調和のとれた社会人らしいコメント。最初の一年くらいは楽しく使っていましたが、どうもこれは本当の自分ではない。続く訳がありません。facebookの更新はもう一年前にストップしています。
それに対し、ツイッターでは自分の気持ちをダイレクトにつぶやいてきましたが、
中途半端に知り合いがいるせいでこんなことつぶやいちゃってあたしったら恥ずかしい!!!とあとから赤面したり、延髄反射であるつぶやきがどんどん大脳新皮質を通過した、「外向けの自分」になったりRTだらけになっていく。
とはいえ、カオスでまとまりのないことがツイッターの特徴であり長所。
じゃあそれらつぶやきの中からピックアップしてひとつの記事としてまとめたら、自己表現として形になってる気がするし、TLテロにもならずに済むし、それより何より、
この滾るパッションを140字に抑えられない。
うだうだと理由を並べてみましたが、上記一文に尽きる気がしています。
そして、そろそろ自分の正体を明かしてもいいような気がしてきた。
というのもひとつ、大きな理由です。
その正体というのも・・・・
実は私、腐女子でして。(うおお言ってしまった!!)
小6の時に誤って手にしてしまったワ●ピースの同人誌が全ての始まりで、
中学のときにあからさまな腐女子たちがハブられているのを見て以来中学時代は休業していたものの、高校に行って意外とそういうお友達が多くてまた再燃したような感じです。読み専ですが。
以来、そういうお友達の前では人気のない所でこっそりと語ったり
ひっそりと地元のイベント行ってこっそり読んだりしていました。
彼には微妙にバレていたのですがあまり多くは語ってきませんでした。
でも、もう結婚しちゃったし、もう隠し続けてもしょうがない。
自分がなぜ、そういう嗜好を持つに至ったのかを研究し解剖していく意味でも
いい機会のような気がしているので、これから少しずつ、
私はいかにして腐女子になったか を振り返り
どうして腐女子は腐女子なのか ということについても考えて行けたらなあと
思っています。
はい。
だめだやばい、ちょっと明日後悔しそう。
あの、メンタル弱いのでまじで誹謗中傷やめてくださいね・・・